大局的か近視眼的か!?~2つのイベントを通しての氣付き~
富士山の麓、山梨県富士吉田市でヒーラーとして活動をしている志村仁です。
10/17(日)の長野ヒーリングマーケットと10/24(日)富士吉田で開催された
『ちょっと幸せマルシェ』の2つのイベントでは、「除染と浄化力」をヒーリングのテーマとして掲げていましたが、実際にワクチン接種をされた方、接種をされていない方にヒーリングをさせていただきました。
自身の持つ浄化力に目覚めさせ高めていくことは、自然治癒力・生命力を高めていくことに繋がります。
今回は動画&ブログのセットで、2つのイベントを通して私自身の経験を通しての気付きをシェアさせていただきました!
【大局的視点がベースとなっているのか、近視眼的がベースとなっているのか】
今月の2つのイベントへの出店を通して、その準備から当日、そしてその後の周囲の方との関わりの一連の流れから、この2つの視点の大きな違いを身をもって経験し氣付くことができました。
大局的視点に立って人生を俯瞰した目で眺めることができると、目先の小さい事にこだわらず、人生にとって真に大切なことを優先するようになります。
逆に近視眼的視点に埋没すると、目先の損得に目が向いたり打算的になったり、感情に振り回されたりして、自分の選択や決断の質が鈍ってきます。
この2つのラインでは全く大きな現実の違いが生じてきます。
私自身において例えると・・・
長野ヒーリングマーケットへ出店した際に氣付いたことや感じたこと、翌週のイベントではこうしたらいいだろうなというアイデアを活かして、翌週の幸せマルシェではそれを実践しました。
自分に閃いたアイデアや、直感を大切にしてそれを現実に表現としようとするエネルギー。
これは心の内から湧き出てくる創造力であると感じました。
この創造するエネルギーを表現している時には、大局的には『自己表現をすることに徹している』状態であると思います。
自分のやることに全身全霊を捧げている状態ともいえるでしょう。
今回はイベントの1日に向けて注ぐ自分のエネルギーということでしたが、これは日常生活にも同様にあてはまります。むしろ日常生活の毎日を全身全霊で生きることの方が重要です。圧倒的に日数が多いですからね。
例えば、家族と過ごす休日を例に挙げてみましょう・・・
今日このブログ&Youtubeをアップする日は2021.10.30(土)
私たち家族4人と、妻の妹2家族(妻は三姉妹)の計3家族でこれからハロウィンパーティーをすることになっています。
ただハロウィンパーティーで仮装だけをやるのか、自分なりのアイデアを何か企画して皆で楽しめることを考案するのかで、過ごす時間の質が全く変わってきます。
普段の休日の過ごし方や、職場でも同様です。
白紙の画用紙に自分の描きたいことを描くことと同じく、私たちの人生の過ごし方には自分で選択して、自由に表現する自由が与えられています。
ごく平凡と思える日常に、創造の機会・チャンスは存在しているということ。
本当に今日という1日は最初で最後なのです。
大局的な視点で眺めると「今のいま」そしてこれから続いていく時間・未来は新たなる創造の機会でしかありません。
ここまでは、大局的な視点でいることについてお話ししてきました。
「理想は分かるんだけどよ~」
「でも~!」「だけど現実は・・・」
という声も聞こえてきそうです(^_^)
次は近視眼的についてです。実はこれが自分を邪魔している厄介ものなのです。
『人からどう思われるかが気になる』ということは誰の心理にもあることでしょう。
これも近視眼的視点のひとつ。人間にとって恐怖を感じる原因のひとつだと思います。
★イベント時に経験した私の「近視眼的な実際の失敗例」をお伝えします
10/24の幸せマルシェの終了時に、私はここでYoutubeを撮影してみたいなと思い動画撮影しました。トライしてみることまでは良かったのですが・・・。
普段は自宅の一室で撮影をしているので、誰も見ていません。
そこでは取り直しをしたりしますが、人目は気になることがありません。
沢山の人がいるところで、撮影するのは初めてだったから仕方ないと自己弁護したくもなり
ますが、人目を気にして落ち着いて喋ることができませんでした。他の方達は片付けや、会
話をしているので実際には僕が動画を撮っていることさえ気付いていなかったでしょう。
家に帰ってから動画を見返すと、ちらちらと目線が動いたり、喋り方がやたらと堅かったりして、挙動不審。ショボくてアップロードできません。
せっかくのお気に入りのジェダイが!
経験した気付きを現場の空気感も乗せてそのまま伝えるチャンスでしたが、私は後悔したと同時に、近視眼的になって人目を気にした自分が現れてきて現実化させてしまっていることに氣付きました。
※表面に現れてくるということは深い所に(潜在意識)に潜んでいるということ。
自分の内側にないものは現れてきません。要は深い所で信じていることや染みついてしまっ
ているクセが現実を創る大もとになっている。
俯瞰した目線に戻ると、この人目を気にすることの弊害を痛切に感じます。
この類いの自分はもう必要ないと感じました。
自分の肉体が終りを迎え、魂だけの存在もしくは全体性に還っていくとき、その時に「人からどう思われるかを気にして自分を表現しきれなかった」とか、「人目を気にしすぎた人生」が人生の大部分を占めていたら勿体なさすぎます。
『何をやっていたんだろう!汗!』
となりたくはありません!?いま氣付けばそれで充分です。
トライするから経験できること、やってみなければ分からないことが沢山あります。
ちなみに、現場で動画撮影時に伝えたかったことは『やってみたいと思ったら、まずやってみること』という単純なメッセージでした。
☆上記メッセージを変換すると・・・
『現場でYouTube撮りたいと思ってやってみたら、人目を気にする自分が現れてきた。
その結果、もうそんな自分は必要ないと氣付いた☆』
失敗は成功のもと!
表現することに徹しましょう☆
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