『マインド』の枠を超えるとき
皆さん、こんにちは☆
今回は「マインド」と、そこを超えた先にあるものについて書いてみました。
日々生きている中で、快活に動ける時期があるかと思えば、逆に動きたくても動けない時期があるものです。
こうした波は、生命のバイオリズムを表していて、実はとても自然なことであるのかもしれません。
時にはどうしても動けないように仕組まれているかのように感じることさえあります。そして、たとえ無理して動き続けることが出来たとしても、いずれ何らかの「ストップ」を余儀なくされる出来事が起こるものです。
「動と静」
動く時期と、静かになる時期。
それは必要なバランスであり、心身を守るために無意識の領域で働く「防衛本能」のような力が作用しているのだと、実感することがあります。
特に、自分自身や身近な家族の心身が壊れてしまわないように、見えないところで絶妙なブレーキがかかっているような感覚です。
そしてある程度の経験を積んでいくと、やがて「動けるとか・動けない」といった判断そのものが、意味をもたなくなってきます。
「頑張るか、休むか」
「やるべきか、やめるべきか」
そんな思考すらも、もはや重要ではなくなっていく。
この”マインド”による判断の枠から自分が抜け出したとき(枠を自分で勝手に作っていただけで、本当はそんな枠は最初から無かったのでしょう)、「純度の高い創造のエネルギー」と繋がり、かつそのエネルギーを自分のものとして受け取り、使い始めることができるようになる。
・・・と、ここまで読んで
「うーん、なんだか分からなくなってきたぞ?」となった方・・・
正解です!
訳が分からなくなるという体験は、人生の変容のプロセスで出会う『扉』なのです☆
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